2018年5月21日

巣くつ



パリ左岸14区。モンパルナスと呼ばれる区画は、20世紀初頭から世界中の無頼漢が集う。とはいえ、彼らはアウトローというわんぱく語感とは趣きがかなりことなる、いわゆる「青びょうたん」レッテル、文科系インテリたちだ。

たとえばピカソ、モディリアーニなど、そのころはあくまで売り出し予定にすぎなかった芸術家、ヘミングウェイなどの作家、さらにはサルトルなど哲学者・思想家。古くはレーニン、トロッキーなどの追放者、時の政府から目障り扱いされたお尋ね者も含まれ、独創的な創造力、言葉をかえればほぼ全員風変わりな輩、後に影響力が超絶な「世紀の大物」となる人物がごろごろしていた。絵画、思想なんであれ、自己表現の大雄弁家たち。

いわくありげな資金を持ち合わせた者、しょせん干上がって持ち金のない食いつめ者どうであれ、ひまつぶしと腹ごしらえを兼ねて、とっておき、でっちあげの、どうもまだまだあやしい表現・思想の披露ついでの自己陶酔、背格好の似た同類から防寒着の拝借よろず相談、もしくは論争に言葉をかえた口喧嘩ちからだめし、ストレス発散はたしあいの続き、ときには自分の創造の女神、ミューズのたたきおこし、同志シンジケート拡大、はたまた“きな臭い”情報交換のため、“カフェ”と呼ばれるたまり場に常習的に通い詰め、たむろする。一応、店側も見逃し半分、ややこしい雄弁家とはかかわりたくない半分、もしや、伝説の伝聞どおり、本当に同情多めに彼らを見守るため(?)、パトロンのようなひろい心から、コーヒー一杯のはした金で、すきなだけあるがままにさせていた。まぁ、いちおう皆自称インテリ、青びょうたんであるからして、一様にプライドに掛けても、わんぱく腕づくでの勝負にはしないだろうとの、物損被害にはいたらない信用だけはあったからかもしれない。。この創造的な変わり者たちへの同情的友愛精神は、“パリ・カフェ文化”の本質、ということでいいのだろう。

日本で“パリのカフェ”イメージというと、かような“あたまモジャモジャのうるさ型”のたまり場、巣くつであると聞けば「違う惑星の太古の神話」ぐらいの距離感。だが、その絶望的遠さは大正解。。その通り。写真はカフェ“Le Dome "。店内は重厚で絢爛、小劇場と見間違う風情。さぞかし大雄弁家たちに気に入られたこと合点がいく。。

こんな舞台で口角泡を飛ばしながら、コーヒー一杯のデポジットだけで、すきなだけ熱弁を一日中奮っていられるとは・・フランス・パリ、国際都市。街角ひとつ覗き込むだけで、議論、表現というものの舞台装置のスケールとクオリティ、懐がまったくちがう。ポイント3つを、相手の興味を考えて、上目遣いで空気読んで…の行儀良いノウハウ実用スキルでは、こんな”違う惑星”には、当分辿り付けないだろう。


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